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 金融緩和で超低金利を続けた結果、国際的な資金移動には低金利の日本から高金利の海外に流出する圧力が懸かり続けた。
その結果、円の実質実効為替レートは、○一年以降サブプライムーローン問題が表面化する○七年七月まで、一貫して円安傾向を辿ったのである。 これは、価格競争力の上で、日本の輸出には有利である。
他方、円安によって海外からの輸入品は値上がりするので、国内の実質購買力は削減され、国内需要は輸出に比べて不利になった。 また財政緊縮も、国内需要を抑制し、輸出圧力を加えるように作用する。
 更に国内では、超低金利によって投資は刺激されるが、消費は刺激を受けない。 所得分配面を見ても、家計は金融資産の方が負債よりも一一一九兆円(○八年六月末現在)も多い資金余剰部門なので、低金利は不利である二%の金利低下で一一兆円の所得減。
また財政緊縮に伴う国民負担の増加によっても、家計所得は少なくなった。  以上の理由で、K政権以来の「財政緊縮・金融超緩和」のポリシー・ミックスは、前掲の図H−1で確認したように、極端に輸出に偏った成長を促し、家計消費の伸びは低くなった。
 輸出関連企業と内需関連企業の格差、企業と家計の格差は、こうして生まれるべくして生まれたのである。  各種の格差拡大のメカニズム、国民生活・国内需要の沈滞と輸出に偏った経済成長という図式はこのようにして出来上がったが、その因果関係全体を示したフローチャートが図U−4である。
 国民負担増加と公共投資削減という「財政緊縮」と「超低金利」の組み合わせ(ポリシー・ミックス)は、国内需要沈滞による輸出圧力と円安によって、輸出に偏った成長を作り出す。 国民生活は、財政緊縮=国民負担増加、超低金利、円安に増幅された国際商品市況の値上がりによる輸入物価の上昇、労働情勢の悪化によって、「I−1」で述べた通り苦境に陥り、企業と家計の格差は拡大した。
 公共投資削減、輸出に偏った成長、輸入物価の上昇、国民生活の沈滞は、国内需要に依存する企業、とくに中小企業と、それらに依存する地方経済に打撃を与え、大企業と中小企業、中央経済と地方経済の間にも格差生み出した。  このような図式の日本経済は、国内に成長の支柱がないので、海外経済からの衝撃には極めて弱い。
 その第一波は、石油や穀物などの国際商品市況の大幅上昇という形で、○七年から○八年にかけて日本経済を襲った。 このため、消費者物価の上昇による国民生活の圧迫、輸入原材料コストの上昇による企業収益の圧迫が起こった。

日本経済全体の立場から見ると、外国品を高く買って国産品を安く売るという交易条件の悪化であり、日本の所得が失われることを意味する。 ○八年四〜六月期に、家計消費も企業投資も前期比マイナスとなり、実質GDPが前期比年率マイナスニ・二%とかなりのマイナス成長に落ち込んだのはそのためである。
 第二波は、サブプライムーローン問題に端を発した今回の金融危機と世界同時不況である。 輸出一辺倒の日本経済は、○八年八月以降の実質輸出の激減により、大きく悪化している。
これに伴う企業業績の大幅悪化を予想して日本の株価は、金融危機の直接の痛手は浅いのに、痛手の深い欧米諸国と同じような暴落に見舞われ、○三年四月に記録したボトム(日経平均株価七六〇七円)を更に下回って○九年三月に同七〇五四円となり、バブル崩壊後の最安値を更新した。 このような中で、七〜九月期は前期比年率マイナスニ・九%、一〇〜一二月期と○九年一〜三月期に至ってはそれぞれ同マイナス一三・五%、同マイナス一四・二%と記録的なマイナス成長に陥った。
これに伴い○八年度は前年比マイナス三・三%と戦後六三年間で最大のマイナス成長を記録した。 ○九年度も既にマ2 「K改革」は真の「構造改革」ではなかった 「構造改革」の本来の理念 K内閣が志向した「構造改革」の本来の理念は、英国のSッチャー首相(七九年就任)のSッチャリズムや米国のLーガン大統領(八一年就任)のLーガノミックスの政策思想に沿っていた筈であった。
Sッチャー首相は、規制撤廃、所得税の減税、公営事業の民営化で民間市場経済の活性化を図り、第二次大戦後、長い間「英国病」に悩まされ、年率一・一%しか成長しない万年スタグフレーションの英国経済を、二%程度のインフレ率の下で三〜四%成長を続ける経済に甦らせた。  米国経済の立ち直りも、Lーガン大統領の徹底した規制撤廃、所得税減税、歳出削減によって基礎が作られ、CリントンーB政権下の情報技術(IT)革命と経済のグローバル化によって開花した。
その理念は「新自由主義」「市場主義」の政策思想に基づいていた。 経済を「小さくて効率的な政府」と「大きくて元気な民間」という構造に変えるために、政府介入の縮小と規制撤廃により、民間の自由競争を促進し、市場経済を活性化しようという考え方である。
 事実、九二年から○八年までの一七年間、米国経済はこの政策思想の下で連続プラス成長という長期繁栄を謳歌した(但し、その長期繁栄は住宅バブルの膨張に支えられていたので、いまその崩壊と金融システム危機によって終止符が打たれた。
 K政権の経済運営、とくに「構造改革」は、この米国を手本にしてきた。 毎年米国政府から送られて来る「対日年次規制改革要望書」に沿って「改革」を進めていたことが、その何よりの証拠である。

そのため、T平蔵経済財政政策大臣は、頻繁に渡米して米国政府の要人と打ち合わせを行っていた。 とくに、「郵貯・簡保」の民営化と「医療保険」の改革では、露骨な内政干渉まがいの圧力が米国から加わったことは、よく知られている。
 K政権以降の基本的な経済戦略である「財政緊縮、超金融緩和」も、「財政緊縮」で「小さくて効率的な政府」を目指し、「超金融緩和」で「大きくて元気な民問」を目指していたとすれば、方向性としては、構造改革の理念にそっている。 しかし、現実にはそのような成果はまったく挙がっていない。
 以下では、K内閣は「構造改革」のために、どのような施策を実施し、その結果何か起こったのかを見ていこう。  国民と地方の犠牲で財政緊縮を強行 まず「小さくて効率的な政府」を目指し、K政権は二つの手を打った。
一つは財政の緊縮であり、もう一つは政府機関の民営化である。  財政の緊縮については、先ずK政権が編成した最初の予算、すなわち○二年度予算の国債発行額を、前年度を下回る三〇兆円以下にすると公約した。
実際は、○一年度の不況で税収が予想以上に落ち込んだ上、景気対策の補正予算を組んだため、前掲の図H−3に示したように、国債発行額は当初予算の三〇兆円を上回り、三五兆円に膨らんだ。 公約はあっさり放棄された。

以後○四年度まで三五兆円台の国債発行が続いたが、○五年度以降、年々国債発行額は縮小し、○七年度は二五兆円にとどまった。 この三年間に一〇兆円減額したのである。
 この国債発行の縮小は、景気回復で税収が伸びたことにもよるが、もう一つは、歳出削減、国民負担増加という財政緊縮を実行したからである。 これまで述べたように、K内閣以降の自公政権は、八・六一兆円の国民負担増加と名目GDPベースで一二○兆円の公共投資削減を実行した。

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